比留木 謙司(ヒルキケンジ|ひるきけんじ|Kenji Hilke|ヒルキ謙司)オフィシャルサイト

Column

[1] [2] [3] [4] [5] [6] >

北海道での3年間 書きなぐり
三年間。実際に流れた時間より遥かに多く、それこそまるで5年、10年過ごした様な気にすらさせてくれた土地、北海道。

よくも悪くもこの北の大地は多くの出来事が起き、多くのものを経験を僕にもたらした。

1年目、JBLに興味が湧き、知り合いのつてを辿りなんとかタイミングも幸いしてレラカムイ北海道のロスターに入る。様々な意味でこれまでとは違う雰囲気の中でバスケットをする事に正直戸惑いも覚えた。
外国人がチームに少ないがゆえのチームの規律の良さ、bjと比べればそこまでアップテンポではなくDF重視のバスケット。何より、小学生の頃からプロとしてプレイしてる折茂さんがいるやらで最初はだいぶ勝手がわからなかったとゆうか。

唯一、bjらしかったのはジョー・ブライアントがヘッドコーチだった事くらいかな(笑)。
あ、あとクリス・エアーもいたか。

戸惑いはあるものの、僕にとって得るものが非常に多くあったチームにむしろ、新鮮味さえ覚えていた矢先、例の事件が起きる。

レラカムイ北海道の事に関しては、僕は新しく入った選手だったし、なにかこうショックな気持ちとかはあまりなく、淡々と毎日を過ごしていたように思う。他の選手達は若干動揺はしていた様子もあったが。
ただ、メディアの扱いの大きさや注目度にはさすがに驚いた。
わりかし冷静でいられたのは、アメリカのマイナーだったり、bjのあまり経済的に恵まれてないチームに在籍していた事で、ある種の免疫みたいなものができていたのかもしれない。

この件に関しては、あまりにも色んな人間の思惑や策略が行き交っていて、情報もかなり錯綜していた。
正直、なにが正解だったのかはいまだに分からないし、何を信じるかは人それぞれだと思うから(あんまりにもすっとんきょうな事を発信している方々もいますが。。)、多くは述べないが、あまりにも選手だったりスタッフっていうのが自分達の身を守る術を持っていないんだと、痛感したのはつい昨日のように思い出せる。

今思えば、東北大震災が起きてリーグが終了となり、全てをリセットできたのはタイミング的には恵まれていたのかもしれない。
僕自身、東北の事が気がかりであまり他の事にも手が回らなかったりしてたくらいだし、チームの他の選手も今すぐにでも向かって何かしたいというような発言をしていた。

空中分解からの日本中を悲しみに巻き込んだ天災。
一見すると、バスケットどころではなかったのかもしれないが、最後の何週間かを除いたら多くのものを勉強し、吸収できたし、振り返るとバスケット自体はすごく楽しんでしていた。

なにか、色んな事が起きすぎて、起きるたび慌てふためき、対応しての繰り返し、気づいたら、チーム解散!!
そんなシーズンだった。


続く、、、と思う。
まだ一年目だし。
比留木 謙司
2013/03/17 00:53
チャリティーゲーム in Saint John, Canada Part 2
スティーブ・ナッシュやリック・フォックスと言った様々なNBA選手を輩出するもアイスホッケーの人気に押され、あまり代表ではいい成績を残せていないカナダだが、今回Saint Johnという小さい街で、イースター(アメリカ大陸の祝日で大抵の人は家族と過ごす)にも関わらず、多くの人が我々の試合に駆けつけたのを目の当たりにし、この国のバスケットもまた確実に多くのファンベースを抱えていると感じた。

人口はおよそ20万人程度の街だが、天井より吊るされた液晶付きのスコアボード、相手への容赦ないブーイング、自チームへの惜しみない拍手など、日本のバスケット選手であればどれもうらやむ環境がそこにはあった。

街を歩けば、すべての人が今回の試合を知っており、バーのトイレにまで我々の記事のある新聞の切り抜きが壁に張り付けてある。どうやら今回の我々のイベントはこの街ではビッグイベントらしい。

歓迎ムードの中行われた試合の相手はセントジョン、ケベック、ハリファックスのカナダ三都市の選抜チームで相手は割と豪華なメンバー。
どうやらPBLというマイナーリーグでもカナダの3チームは興行的にも成功しているらしく、マイナーリーグとしては破格の3000ドル~4000ドルを月に選手がしっかりともらえる環境にあるとのこと。ここでもやはりアイスホッケーの国ではあるもののバスケット人気もしっかりと存在していることが伺える。

試合の内容はというと、散々という程ではなかったが、こちらのチームは皆シーズンが終わって一か月以上経っていた事、ルールが違うのも手伝って自分達のいい部分を出す事なく終わってしまったというのが正直な感想。
ただ、久しぶりにアメリカ人のあのギラギラした感じに触れて公式のルールでできたのはすごく楽しかった。

結論だけいうと、


NBA3Pライン、、、

むちゃ、遠っ!!!

楽しかった。今度はもっと大きいカナダの街でも何かイベントができればいいな。
やはり欧米のスポーツ文化は素晴らしいものがあるなと。
しっかりとお金を払って見に来る観客、そしてお金を払うからにはしっかりと楽しんで帰っていくお客さん達。普通の事だけど、すごく好印象。


そして最後に、、、、


試合後にサイン会をみんな並んでしたのだが、

お姉さんが一人やってきて一言、、、、、、



『あなた、ジャスティン・ビーバーみたいね!』


。。

。。。。

。。。。。。


なんなんだ、カナダ人。助けてくれ。
比留木 謙司
2011/05/11 16:21
チャリティーゲーム in Saint John, Canada Part 1
今なお厳しい状況の続く東日本大震災の被災地。
バスケットボール選手としてできる事はないかと悶々とした日々をサンディエゴで送る中、一本の電話がなった。

声の主は、バスケット業界の知人で選手の代理人をされている方だった。

『少し急で申し訳ないが、一週間後にカナダで被災地の為のチャリティーゲームを行う。比留木くん、興味ある?』

北海道の街頭募金やサンディエゴの知人を介しての支援活動を行っていたものの、もっと何か具体的に自分の力で支援をしたかった僕はこの案を二つ返事で了承した。

詳しい話をあまり聞かずに『行きます!』と返事をしたのだが、スタッフからの概要が送られてきてその内容に驚きと少しの喜びを感じた。
なぜならば、今回のチームメイトには富山や東京で一緒だった仲摩純平やテレンス・ウッドヤードがいるとの事。
加えて元北海道のプレイヤーで現在北海道に在籍中の野口大介等とも馴染み深い菅原洋介や元日本代表の阿部理、東京アパッチの日米ハーフのルーキー井上ジョナサンなど、非常に多様なメンバーとなった。

チャリティーという名目ではあるものの、bjとJBLの歩み寄りを強く願う自分としてはまさに一石二鳥の今回のイベントとなった。

試合の事はPart 2で書くとして、今回は初めてのカナダやセントジョンについて。

世界第二位の面積を誇る大国カナダの東海岸の都市のひとつであるSaint John。
人口およそ15万人程度の街ではあるもののニューブランズウィック州最大の都市であると共にカナダの東海岸の州の中心地で、多くの企業が集まっている。

また、カナダで唯一英語と仏語の両方を公用語としているバイリンガル都市でもある。

小さい街だが、建造物や人々の振る舞いに歴史と文化を感じさせる部分が多々見られ、街を歩けば誰もが今回のチャリティーゲームに対しての激励の言葉をかけてもらえる。
小さい街ならではの人々の温かさを感じた。

ただね、、、

試合後の打ち上げでテレンスとジョナサンとバーに行ってゆっくりしていたのだが、ひょこっとどこからともなく金髪の女性が現れて、

『ねえ、あなたとっても素敵じゃない。どこから来たの?』

なんておそらくこの街ではバスケット選手はステータス高めなのだろう。様々な話で僕らの気を引こうと試みている。

ここまでは全然構わないし、むしろありがたい話なのだが(日本人以外興味ない自分には一向に関係ないが)、僕らが場所を移動しようと

『試合見に来てくれてありがとう。んじゃ、僕らはあっちに行くから、またね。』

といった具合に速やかに立ち去ろうとすると、彼女は僕に叫んだ。

『待って!!!』

僕『はい?』

『あなた、ライオネル・リッチーにそっくりだわ。』


だってよ!!
なんだ、それ!!!

この発言で僕のカナダでの思い出は苦いものになったとさ。

いや歌は素晴らしいんだがね。はぁ。。。


ではではPart 2ではバスケットについてのお話。
ごきげんよう。
比留木 謙司
2011/04/29 16:12
2010-2011シーズン
長い事契約のせいでかけなかったが、このホームページでの執筆を再開。
やっとだ。長かった。

まずは東日本大震災で被害に遭われた方への、心よりのお見舞いと今後一日でも早い復興、そして元の生活ができるようにお祈り申し上げます。

現在アメリカはサンディエゴに滞在中だが、今後、アメリカからも支援活動ができるよう計画中。



さてさて、昨シーズンはJBLという新しい舞台への挑戦だったわけだが、収穫がたくさんあるものの個人的にはすごく辛かったシーズン。

ジョーHCから学ぶものは多いにあったし、JBLのバスケットも自分が経験してきたバスケットとは違うもので変化も求められたし、成長もできたと思う。

ただやはりプロ3年目という事もあり、JBLだろうがなんだろうがやはり結果が欲しかった。兼ねてより自分が課題としてるウィークポイントがJBLでは露骨になり、試合に出られない日々は本当にもどかしかった。


自分の課題はわかってるつもりではいるし、今後の取り組み方次第だとも感じる。このままでは終われない。
なので個人的な気持ちとしてはJBLに残り、結果を出したい。言いわけはなしだ。



とまあ、真面目な話はそこそこにして北海道では初めての体験が非常に多く色んな事に驚愕した年でもあった。

寒いし、冷たいし、寒いし、冷たいし、転ぶし。

北海道の方には大変申し訳ないが、バスケットやってなかったら絶対札幌には住んでないです。でも不思議なものでシーズンも終わりになると寒さにもなれ、北海道の人々やグルメの数々にまあよくしてもらった!!

スープカレー万歳。ジンギスカン万歳。すすきのばんz…おっと!違ったw

なかなかホームページの方の更新ができないでいたが、これからは更新していきます。だろう。たぶん。おそらく。

北海道のファン、bj時代より応援してくれている皆、そして家族。
支えてくれる全ての人達に感謝して今日は締めます。

ありがとう。

皆のおかげで僕はバスケットをできている。

ありがとう。
比留木 謙司
2011/03/25 00:56
シーズン終了のご報告
少し遅れましたが無事にシーズンを怪我なく終える事ができました。

チームとしての目標と個人的な結果に関しては全く納得はしていませんが本当に様々な方に支えられてこのシーズンを乗り切りました。

本当にありがとうございました。

来シーズンに向けて考えをめぐらせると共に行動を開始しています。

バスケットをもっと勉強してもっと数字を取れる選手になって、来年を迎えたいです。

よし、このオフ頑張ろう。本当にありがとうございました。


話は変わりますが、倒産の危機を迎えていた高松ファイブアローズの存続が決まったようでなにより。
リーグのイメージのためにも、高松のバスケ小僧達のためにも絶対球団が倒れるのはあってはならないように感じるし、選手の受け皿もやはり多い方がいい。

今、高松の球団が踏ん張ることによって15年後のスーパースターが四国からデビューするかもしれない。その子が日の丸を背負って世界を相手にオリンピックで戦う日がくるかもしれない。

だから本当に存続を聞いた時はホッとした。
これからもいいことばかりではないだろうが関係者並びに高松の地元の方には心からエールを送りたい。

頑張ってください。みんなで日本のバスケット大きくしていきましょう。
比留木 謙司
2010/05/31 00:18

[1] [2] [3] [4] [5] [6] >

© 2017 Kenji Hike